141030_托鉢

お金やモノは自分が持っていなければ人にあげることはできませんが、持っていなくても(もらっていなくても?)与えられるものは何でしょうか??

先日読んでいた心屋仁之助さんの著書『「めんどくさい女」から卒業する方法』にこんな文章がありました。ちょっと長いけど引用しますね。
 人をなかなか褒められない人がいます。人を褒めるって、相手に喜んでもらういちばん身近なギフトなのに、それがなかなかできない人がいます。 
 どうして褒められないのでしょうか。それは、自分が「持っていない」と思っているから。
 持ってない??
 そう、私は持ってない。いえ、「もらってない」
「もらってないから、持っていない」
 褒めてもらってない。認めてもらってない。だから、人のことも褒められないし、認められない。持ってないから、何もあげられない。
 そう思い込んでいます。
 だから、人に「あげる 」前に、まず自分が「ほしい」。もっと褒めてほしい、もっと認めてほしい。もっと、もっと。
「私は別に褒めてほしくないわ」「人から認められなくてもいい」
 という人もいます。これも実は、褒めてほしいということ。でも、手に入らないから、拗ねて諦めてしまったんですね。
 本当は褒めてほしい、認めてほしかった。でも、そうしてもらえないと諦めてしまった。
「私は、もらってないもん。もらうどころか、ひどいことされたもん。本当は、たくさん褒めてほしかったんだもん 」
 この思いを引きずっていると、ずっとずっと「欠乏感が続きます。

 これを、まず埋める。「私はなにも持っていない」という欠乏感から抜け出しましょう。
 もらえなかったものは、もうもらえません(笑)
 だから、自分で自分に与えていくのです。そうやって、まずは自分が幸せになる。
 そのためのいちばんの近道が、親と仲良くなること。パートナーと仲良くなること、認めることです。
 なぜかというと、これが「すあしの女」の大きな共通点なのです。 
 
そう、持っていなくても,もらっていなくても与えられるもの、それは、人を褒めたり感謝したり、といった”気持ち””感情”ですね。


でもね、私たちは本当に人に与えられるだけのモノ(ここでは物質的な)を持っていないのでしょうか??

何で聞いたのかはっきりと覚えていないのですが(たぶん、斎藤一人さんの書籍についていたCDではないかとは思いますが、著書名は思いだせません)、こんな話があったことを思い出しました。

お釈迦様だったか、あるお寺の住職だったかが、托鉢に行くお坊さんに対して
「貧しい人から授けてもらいなさい」
と言われたそうです。

それはなぜなのか??

貧しい人は自分が受け取ることしか考えていないけれど、ほんの"ひとさじ"でもいい、自分が持っている物から差し出すことで与えることの喜びを感じられるようになるし、その分だけ心が豊かになれるからだ

ということでした。


この話を聴いたら、
(物質的な)モノは差し出すと自分の手元からはなくなってしまう。
でも、なくなったモノ以上に心は豊かになれるんじゃないか
って思ったんですよね。もちろん、差し出すときに、奪われた,取られた、という気持ちがあってはいけませんが。


人の豊かさとか幸せって、持っているモノやお金の量ではないと思うのです。
他人からは裕福に見えても、本人は幸せで満たされているとは感じていないかもしれない。
金銭的にはギリギリの生活をしているけど、毎日満足して過ごしていると感じている人もいるでしょう。

どんな状況であっても自分が幸せと思えれば、それが幸せなんですよね。
幸せって、人からもらうものでも神様から与えられるものでもなく、自分で感じるもの。

「でも」「だって」「どうせ」を手放して「すあし」の女(男も)になりましょう!!
(「すあし」とは「素直で、愛されて、幸せな」ということです。詳しくは本書で!)


本書はタイトルを読むと女性向けのようですが、心屋さん本人が自分も「めんどくさいやつ」だった。そしてそこから抜け出せたからこそ伝えられる部分がある、と書かれているように、男性が読んでも十分参考になると思います。

私も「すあし」の男になろう!!
といっても、いつも「素足」のあの芸能人みたいにはならないですよ~(笑)





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