20150212_蝉の抜け殻


1か月ちょっと前に『”あたりまえ”だと思ってやっていることは、本当に”あたりまえ”なのか?』という記事を書きましたが、またまた同じようなことを考えてしまいました。

ブログにしろ,1日1万歩歩くことにしろ,タイムログを記録することにしろ、何か成果が上がらない限り、やることに意味はないんですよね。

上に書いたことは、私が毎日続けていることだけど、果たして成果が上がっているのだろうか??
これらに費やしている時間を、他のことに当てたほうが成果が上がるんじゃないか??


と思ったのです。


それと同時に、

新しいことを始めるときには、それがうまくいかなければ止めてしまえばいい。
それまでやっていたわけではないから、元に戻るのは簡単。

でも、これまでやってきたことを止めるのは、それが毎日続けてきたことであれば、
止めた時点で少なくとも、連続していたことが途切れるわけで……

続けていたことを止めて成果が出ればいいのですが、そうじゃなかった場合、

せっかく〇〇日続けてきたことなのに、途切れてしまった。
止めなきゃよかった(>_<)

という気持ちになってしまうのではないか??


と思ってしまうんですよね……。

だから、試しに止めてみる、ということができない。



そんなことを考えながら電車に乗って、そのとき携帯していた本を取り出して読み始めたら、こんなことが書かれていました。

 ビジネス活動である限り最終的に求められるのは成果です。具体的に成果が上がらなければ企業では評価されません。成果の質を上げるには、「よし、明日から頑張ろう!」といった精神論(根性やガンバリズム)だけでは心もとなく、行動を変えなければいけません。新しい行動が新しい成果を生み出すのであり、行動を変えずして成果の質は、大きく変わりません。
 
 ところが、人間が行動を変えるのはそう簡単ではありません。いくらアメとムチで無理やり変えようとしても、行動の意味や重要性を理解していないと、期待する行動に結び付きません。それどころか、頭と心や体がチグハグになり、余計に妙な結果になってしまいます。
 
 行動を変えるには、まずは考え方を変えなければなりません。固定化された思考の枠組みを打ち破ってこそ、新しい行動が生まれてくるのです。
 
 そこで問題となるのが、頭の固い自分の思考をどうやって打ち破るかです。これはまさに至難の業です。しかも歳をとればとるほど難しくなってきます。

まさに今思っていたことを言い当てられたような気持ちになりましたね。

なんで、こんなことを考えているときに、こんな文章を目にするのだろう?? って……。


この文章で、

これまで続けてきたからという理由だけで続けるのなら、意味がない。

と言われているような気もします。


いわゆるサンクコストみたいなものですよね。


それから「完璧主義で几帳面」という私の性格も悪さをしているのでしょう。

自分が勝手に続けているだけだから、それが途切れたからといって、私以外の誰かが残念がるわけでもないんですよね。

うまくいっても行かなくても、

まぁ、いいか~ しょうがない

そんな気楽な気持ちで始められたらいいのにね……。



自分が望む成果が何なのか??

今やっていることで、その成果に近づいているのか??

それとも、今やっていることを止めて新しいことを始めたほうが成果に近づきやすいのか??


そんなことを考えてみたいと思います。

そして、後者だろうと思ったら、試しに行動します!!




【関連記事】

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【参考書籍】



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